はなこのブログ。

酒をよく飲みすぎてしまう人です。4歳の娘がいます。

私はこの子を幸せにすることは出来ない。

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ああ、まるで天使のようなエンジェル。
2歳の娘を見て毎度そんなことを思う。

この子のスマイリーな笑顔をずうっと見ていたい。
そんな風にも思う。

このキュートな可愛さに…もういいか。

ともあれ、そんなわが子の幸せを願うのはきっとどの親御さんも同じ気持ちだろうと思う。
しかしそれと同時に思うことがある。

私はこの子を幸せにすることは出来ない。

 

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私は娘を愛し見守ることができるし、できる限り快適な環境で過ごせるよう計らうこともできる。
会話したり共感したり喧嘩したり、ドーナツを一緒に食べることだってできる。

あらゆる手段を使って、娘にたくさんの金を与えたり、一流大学に入れたりすることだってできるかもしれない。

でも、私は彼女ではない。
彼女は私ではない。

金があったら幸せか、それは彼女が決める。
好きな人と結婚したら幸せか、それは彼女が決める。
地位や名誉があったら幸せか、それは彼女が決める。

私は彼女が生まれてからつい数か月前まで、「私のようには育ってほしくない」と思っていた。
それがきっと彼女にとって不幸であるかのように。

でもその考えはやめた。
というか自然になくなった。

涙の多い人生は不幸か、それは彼女が決める。

私はこのブログでも少し触れたことがあるのだけれど、自分の母と折り合いが悪く(現在は概ね良好)、母のような育て方はしたくない、自分のような境遇にしたくない、そう思って意地になっている時期があった。

それはなんだかもう呪縛に近くて、いつ無くなるんだよコレェッ!ともうほとほと嫌んなっていた。
しかし最近になって驚くほどしゅるしゅると糸が解け、なんかどうでも良くなったのだ。

こんな記事が書けるほどには。
今はもう、私の帰る家に明かりは灯っていないけれど - はなこのブログ。

娘が私に似ようが似まいがどっちだっていいやと。

母が言うにはどうやら失敗作の私だが、私は今の自分にとても満足しているし大変幸せだ。
心からそう思えたから呪縛も解けたのかもしれない。

今はまだ2歳の娘、悩みといえば、食卓にほうれん草が出てきたとかシャワーするとき目に水が入るとか単純なものだろうが(彼女にとっては重大だね)、これから大きくなるにつれて、もっと複雑でぐちゃどろした悩みがたくさん出てくるのだろうと思う。

将来娘がそんな悩みで辛い顔や悲しい顔をしていたら、私はできる限り話を聞いて、一緒に怒ったり悲しんだりするのかもしれない。
そしてちっこい脳みそをぎゅーっとしぼり、少ない経験から学んだことをつなぎ合わせて娘に渾身のアドバイスをおくったり、何とかしようと行動を起こすのかもしれない。
大丈夫といって励ますのかもしれない。

しかしそれを受け取るも突っぱねるも娘が決めることだ。

勉強はなんだかんだ役に立つからした方がいいよとか、酒を飲むときは同量の水を飲んだ方がいいよとか、好きな人には好きと言った方がいいよとか、頼まれてもいないのに私はどんどんどんどん娘の人生に関わっていこうとするだろう。

しかし彼女の人生は私の人生ではない。
その一線を越えてはいけない。

私の幸せと彼女の幸せとを混同してはいけない。

私は彼女を幸せにすることはできない。
彼女は彼女の好きなタイミングで、幸せになったらいいのだ。

目下私にできることといえば、彼女を見守り、愛を伝えること。
私はあなたではないが、あなたの味方ではある。
それを伝えていきたいと思う。

とあるブログの記事で、小学生の子どもが親に"学校に行きたくない理由"を話すという場面があった。
(赤玉がついてビクビクしてほしくないのであえてidコールしませんが笑)

自分の中の「負の気持ち」を親に話すことができるのは、そこに信頼関係があるからで、その子は母親が自分の味方であることをちゃんと知っていたのだ。

だから私もそんな関係を娘と築いていけたらいいなと思いながら過ごしている。

 

 

そんなことを考える私の横では当の娘がお前ほんとはハムスターだったんかと思わせるほどドーナツを口いっぱいに頬張り、小刻みに口をもぐもぐとさせている。

私には出来ないことをこのドーナツとやらは軽々とやってのけるようだった。

そう思うと少し悔しくて、余ったドーナツのチョコがたっぷりかかった部分を口いっぱいに頬張り、私もまたハムスターに変身するのだった。

 

 

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